Made-in-Japanよ、もう一度!

先日スーパーでフィリピン産のオクラを思わず手に取った。今までどちらかというとなるべくなら避けていた、外国産、東南アジア産のものなのに、ほんのわずかだが、まだ安全かも、と一瞬そんな考えが頭をよぎった自分に、ハッとした。


被災地や原発の現場などたいへん危険かつ過酷な環境で戦っている方々のことを思うと心から罪の意識に苛まれながらも、これはこれで、一消費者としての正直な気持ちなのでは、と苦し紛れに認めざるを得なかった。


消費者の心理とはある意味、かくもシンプルで、そして揺れ動くものである。

つい最近までインバウンドビジネスが盛んだった。ホテルやレストラン、ショッピングモール、至るところに外国人観光客があふれかえっていて、目障りと冷ややかな声まで上がった。
あるいは日本の不動産を買いあさる中国人に批判の目が向けられ、「乗っ取り」を危ぶまれる意見もあった。


ところが、今はどうだろう。幸か不幸か(?)もうそんな心配も当分なくなった。
ついでにアウトバウンドのほうも、前回のブログ(⇒http://www.chemin-libre.com/blog/2011/03/nobody-knows-what-is-happening-there.html)で述べたとおり、日本製品の買い控えに始まり、文化的な側面でも深刻な日本離れが目に見えている。


つまり、Made-in-Japanのブランド力、ひいては日本という(豊かで先進的な国としての)ブランドそのものが崩壊の危機に瀕している。
発端は、大地震と大津波という天変地異、不可抗力によるものだったとはいえ、災害直後からのいろんな経緯が明るみに出るに連れ、人災的な部分があったことは否めない。

隠蔽体質と言われても仕方ない政府の戦略なき対応が、いたずらに海外の注目や関心を思わぬ方向に向けて「暴走」させたのであり、いまだに改善・収束の兆しを見せない。今何が起きていて、どんなことをして解決しようとしているのか、きちんと世界の人々に伝わる言葉で自ら発信していないからではないでしょうか。


沈黙は金なり、暗黙の了解、お互い気持ちを推し量って、そんな価値観は世界では残念ながら、通用しない。

どうかこの1000年に一度の国難の時だからこそ、これからを担っていく新しい世代が、今一度コミュニケーションのあり方を自分ごととして考えてほしいと思う。

流された家屋や道路はある程度お金と時間をかければ立て直すことができる。
工場が再開すれば生産能力もまた復活する。
しかし、一度地に落ちてしまったブランドのパワー、失われた信頼を、取り戻すのに気が遠くなるほどの年月と労力、そして何より知恵が必要だと思う。いいものを作ればみんな買ってくれる、という独りよがりな精神論で乗り切れる次元では、もうとっくにない。

復興支援にはいろいろな形がある。義捐金を集めるのもいい、被災地に赴いて、目の前にいる弱者を助けるのもいい、芸人には人を笑わせる力を発揮し、金融のプロには株式のことを考えてもらうとして。

マーケティング・コミュニケーションに深く関わる私たちは、ぜひ率先して、世界における日本ブランドの再構築を提案していきたいと思う。

コメント/评语(0)トラックバック/过期搜索(0)

トラックバック/过期搜索(0)

トラックバック/过期搜索 URL: http://www.chemin-libre.com/mt/mt-tb.cgi/278

コメント/评语(0)

コメントを投稿する/发表评语

ニックネーム/昵称
メールアドレス/电子邮址
URL
コメント/评语

ページ先頭へ戻る/返回顶部

カレンダー/日历

最近の記事/最新日志

Chemin Libre
日本語サイト/日文网站
中国語サイト/中文网站
  • RSS